虐待・夫婦問題専門
カウンセラー

ヤマダ心理サポート代表
山田 孝典

我が子を虐待した30歳・共働き元サラリーマン
夫婦喧嘩、慢性イライラからの別居・離婚寸前の最悪の状態でした。

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私は何のために生まれてきたのだろうか。
私はもっとできる人間なんだ、、、

「俺はどうしたらいいのだろうか・・・」と、「人生詰んだな」と感じていました。

虐待・夫婦問題専門カウンセリング|ヤマダ心理サポート|山田孝典

は1986年に兵庫県の明石市で生まれました。神戸市の隣で、瀬戸内海に面したタコや鯛が美味しいことで有名な町です。

高校卒業まで明石で育ち、卒業した後はサンゴ礁の海に憧れて沖縄の大学に進学しました。

沖縄の大学に行きたいと言ったときは、親はびっくりしていました。なんとか説得し、晴れて沖縄で学生生活を過ごせることになったのですが、やはりというかまあ勉強はせずに、ダイビングサークルに入って、週に1回くらいダイビングをしたり、友達と遊んだり、本を買いまくってたくさん読んだり、あっという間に4年間は終わりました。

大学を卒業したあとは、政治家になりたいとか、漫才師になってM-1で優勝したいとか一時的に思いつつ、結局大した行動も起こせず、何と就職活動をせずに、地元の明石に帰りました。親は私はが就職しないことに、とてもがっかりしたと思います。

しかし私には目標がありました。それは海外をバックパッカーで旅することです。明石から沖縄に行ったのも、元々遠くに行く、知らない物を見に行くというのが好きだったからです。

明石に帰ってからは、なるべく早く100万円を貯金して、海外にいこうと思っていたので、歩合制の給料である太陽光発電の飛び込み営業の会社に入りました。

しかし、そんな甘くはなく、毎日インターホンを押して断れることが嫌になってしまい、3ヶ月ぐらいでやめてしまいました。

ところが奇跡的に、冬の3ヶ月で100万円を貯金できるという、灯油の巡回販売という仕事を大学時代の先輩から紹介してもらい、翌年の春までに100万円を貯金することができたのです。

大学を卒業した翌年の春には、バックパッカーとして韓国から始まり、中国、シンガポール、インド、エジプト、イスラエル、トルコ、イタリア、スペイン、イギリスなど20カ国近くを1年間旅行し、ユーラシア大陸を横断することができました。

1年後に貯金がなくなったので、帰国しました。

帰国して1ヶ月ほど明石で休んで、24歳の春に上京しました。子どもの頃から東京に憧れていたからです。

最初はテレビ番組のADを派遣でしていたのですが、給料が安いし残業も多いので、秋頃には辞めてしまいました。その頃、リーマンショックという不景気のまっただ中にあり、毎月16万円ぐらい国からもらいながら、職業訓練に通うという制度がありました。

その職業訓練は、PHPというプログラミング言語で通販サイトを作れるようになって、IT業界に転職しようというものでした。私は小学校・中学校のとき、ポケモン赤・緑の情報サイトを作っていたり、同じクラスの人向けのチャットを作ったりして、コンピュータが好きでした。

同時に私は職業訓練の時から、アフィリエイトという副業をしていました。車買い取りやダイエットドリンクを特集したホームページを作成し、そのホームページ経由で商品が売れたり、サービスが申し込まれたら、1件につき数千円の報酬が得られるというものです。初めて数ヶ月で月間10万円を突破できたので、この調子で続ければ100万円ぐらい稼げるようになると思っていました。

その職業訓練校で今の奥さんと出会い、就職してから1年ぐらいして、入籍しました。月10万円だけでは生活できないし、プログラマーとして手に職をもっておくと、食いっぱぐれることはないと思い、職業訓練で学んだ内容を活かして、企業が使用するコンピューターシステムを構築する会社に就職しました。奥さんも、同様にIT関係の会社に就職しました。

就職してすぐのときは、毎日ばりばりプログラミングをして、日々上達を感じる事ができ、先輩からも褒められることが多かったです。そして、入籍して1年ぐらいが経った27歳のとき、長男が生まれました。私も奥さんも私の親もとても喜び、はたから見ると、とても幸せな時間が流れていたと思います。

さらに2年後、私が29歳のときに2人目の男の子が生まれました。

就職してから3年ほど経ったのですが、プログラミングには慣れきってしまい、新しいことに挑戦する機会もなく、お客が希望するシステムを作るということに退屈を感じていました。朝9時~18時まで会社に拘束され、休日も家族とずっと一緒。そんな日々に私は絶望感を感じ始めていました。

私は何のために生まれてきたのだろうか。このまま会社員を続けて、東京の郊外に4000万円ぐらいで家を買って、35年間働き続ける。それって幸せ?という疑問がどんどん大きくなっていったのです。私はこんなことをするために生まれてきたのではない、私はもっとできる人間なんだと。

仕事をしながらも副業は続けていました。とはいえ、平日は会社から帰宅して、子どもを寝かせた後しか作業ができません。土日も家族と時間をとりたいですし、奥さんは平日子どもを預けっぱなしですので、私だけ自由な時間をとることには罪悪感があります。

それでも、なんとか土曜日の朝に私だけ早起きして、近所のスターバックスで副業の作業を午前中いっぱいするということをやっていました。しかし、あまり作業に集中することもできず、副業の収入も増えるどころか、減る一方で、毎月5万円入ればいい方でした。

副業さえうまくいけば、会社もやめれるし、頑張った分だけ収入が増えるから、お金持ちになれるのに!

世帯年収は700万円ほどあったので、金持ちではないですが、休日は比較的好きなものを食べれるし、好きなものを買える。でも将来、都心のタワーマンションを買ったり、子どもになんでも好きなことをさせてあげるのは無理。そんな経済状況でした。

奥さんは育児にべったりで、ストレスが溜まっているようでした。最低でも週に1回は喧嘩するようになっていました。とある土曜日、一緒に出かけたのに、ささいなことがきっかけで出先で喧嘩し、私がキレて1人だけ先に家に帰ってしまう。そのまま私はベッドで布団にくるまり、日曜日も1日中口をきかない。そんな事がもう何度も続いて、私はその生活に疲れきってしまいました。

喧嘩したまま月曜日の朝を不穏な空気で迎え、会社には放心状態でボーーーっとしていました。会社の方が家より休める場所になっていました。

そんな状態なので、会社でも仕事に集中できるわけもありません。おまけに副業の時間が欲しいので、会社はきっかり定時に上がることを毎日考えて実行していました。

でも実際家に帰ると副業には集中することができない。奥さんは会話を求めてくる。もう、ふんだりけったりで、「俺はどうしたらいいのだろうか・・・」と、「人生詰んだな」と感じていました。

私も奥さんも、両親は遠くに住んでいるため、預けたいときに子どもを預けてリフレッシュということができませんでした。近所に両親が住んでいる他のパパママが本当に羨ましかったです。

そんな共働きの生活で、2人目の子どもが生まれてすぐに、私は奥さんが見えないところで、その子を叩くようになっていました。
最初は軽く何発かほっぺを叩く程度だったのですが、すぐにエスカレートしていきました。

私は自分が子どもを叩くのをやめられないことがとても怖かったです。「これは完全に虐待だ」と思っていたのですが、それを止めることはできませんでした。その子がベビーベッドで寝ているのですが、顔を見ていると、わらわらとした憎悪のようなドス黒いものが腹の底から湧いてきて、殴ってしまうのです。

「やばい、このままいくとこの子を殺してしまう」ととても怖かったです。しかし、「自分の子どもを愛せない」という事を、奥さんには相談できなかったです。

そうして隠れてバレない程度に虐待を続けていたのですが、生後4ヶ月ほど経ったある日曜日に事件が起きました。奥さんがヨガに行ってる間、いつものようにまたわらわらがやってきて、その日は顔にあざが出来るぐらい、子どもを殴ってしまったのです。

これはもう隠せないなと思い、奥さんが帰ってきてから、「子どもを殴ってしまった」と奥さんに言いました。

その週のうちには奥さんが児童相談所に相談に行き、児相からは別居するように言われました。
私は内心ほっとしたのです。「これで子ども殴らなくて済む。」そして、「これで思う存分、副業ができる」と。

「誰でもいいから、俺を救ってくれー!」

さんは両親が住んでいる福島に子ども2人を連れていきました。私は都内に残り、会社勤めをつづけていました。

私は虐待をしなくてすむので安心はしたのですが、奥さんと子どもと幸せに暮らしたいという思いはあったので、虐待をしなくなるように、つまり、二男の顔を見たときにわらわらーというのが湧いてこなくなるようになる必要がありました。

そのために、なんとかしようと、自分がなんとかなりたいと必死でした。

1つ、私には思う節がありました。私には2歳年上の兄がいました。小学生のころ、兄と喧嘩でいつも負けていて、ひどいことを言われたことを想い出し、それがトラウマになっているのか?と考えました。

私と兄しか家にいないときに、私が兄の気に障ることを言ったとき、兄がキッチンから包丁を取り出して、「言うこと聞かなかったら殺すぞ!」と言ってきたことを鮮明に覚えていたからです。

私は、平日いきなり兄に会いに行き、「こんなひどいことしたんや!」と言うと、兄は謝ってくれました。しかし謝ってもらったところで、そのことと、自分がわが子を叩くことが関連しないため、叩くことを止めることはできませんでした。

最初は児童相談所から紹介された、精神科クリニックに通うことになりました。

私はその先生の所に最初いったとき、早く心理的な改善プログラムを受けさせてくれ!と思って行ったのですが、精神科の専門的な見地からの話は何もなく、「私がこう言ったら、奥さんはこういう風に言うんです」というような、誰でも分かるような話しか出てきませんでした。

後になって考えると、おそらくその先生は早く2人を離婚させたいと思っていたのだと思います。奥さんもその女性の先生と話していたのですが、奥さんは、私と一緒に暮らせるようになるには、「今の年齢と同じ年数が必要」、つまり30年かからないと一緒に暮らせるようにはならないと言われたようです。

月に1~2回通っていたのですが、4回目ぐらいのときに、「あなたはこれからあなたが決めたように生きていっていいのよ」と言われたので、「また奥さんと子どもたちと暮らします!」と言うと、とても困った顔をされました。おそらく、先生が期待していた答えとは違ったのでしょう。

別居して4ヶ月ぐらい経ったところで、私たち夫婦が、その先生を信用できなくなったため、児童相談所にはその先生に通うのを止めることを伝えました。

私はインターネットで子どもを虐待する親の心理について調べていると、「アダルトチルドレン」というキーワードを見つけました。アダルトチルドレンとは、「親による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人」のことです。私は自分はもしかしてそうなのかな?と思い、アダルトチルドレンの大人を対象にカウンセリングを行っている、都内の一般の心理カウンセラーにも1度行ったのです。

そこで、『お母さんに「愛してるよ」と言ってもらってください』と言われました。正直、それはめちゃくちゃ恥ずかしくて、ありえないことだと思いました。ですが、アダルトチルドレンとは親の愛情不足によるものという解説もあったし、それで虐待しなくなるならと思い、母を東京に呼んで、「愛してるよ」と言ってもらいました。

その瞬間は、やはり恥ずかしいですが、なんとなく親子関係が改善した気にはなったのですが、いまいち効果が得られず、この先何度その心理カウンセラーに通えばいいかも分からないので、2回目以降通うことはありませんでした。

  • 親や兄との関係も癒やした。
  • 精神科の専門医にも通った。
  • 心理カウンセラーのカウンセリングも受けた。

それでも自分の中では特に変われた気がしませんでした。

手は尽くした気がしていて、もう離婚しかないのかなと諦めかけていたのです。「誰でもいいから、俺を救ってくれー!」という気持ちでした。

「怒ってもいい」って言ってみてくれる?

婚したばかりの頃、2012年ぐらいでしょうか、奥さんとナイナイアンサーというテレビ番組を見ていました。そこに心屋仁之助さんという心理カウンセラーが出ていて、カウンセリングを受けながら、涙を流しているのを見て、奥さんと「この人すごいねー」と言いながら見ていたのです。

それがあったので、心屋仁之助さんのカウンセリングを受けたらなんとかなるかなと思って調べると、もう本人は個人カウンセリングはやっていないようでした。

ですが、教え子がやっているグループ形式のカウンセリングは東京で開催されていることを見つけました。

私は「子どもを虐待する」というのを人前で言うのはちょっと・・・と思っていたのですが、どうせ離婚するかもしれないし、今さら恥もないなと思い、そのカウンセリングに行きました。

会場には私以外に4人ぐらい来ていたのですが、1番に手をあげ、今の状況、子どもを殴ってしまい別居しているということを打ち明けていきました。

そこでカウンセラーさんがいくつか質問してきて、それに私が答えていくというのが続いた後、カウンセラーさんが言ったのは、『「怒ってもいい」って言ってみてくれる?』でした。

私は「怒ってもいい!」「私だって怒ってるんだ!」と言うと、頭がすっきりしていくのを感じました。なんとなく、体が軽くなった感じです。

私は怒ることを封印していたとは、自分では全く思っていなかったので衝撃を受けました。怒りを封印していたことに対して、なんとなく、「そうだったんだ・・・。」という感触がありました。

さっそくカウンセリングの内容を、別居先の奥さんに電話すると、奥さんは私の声を聞いただけで、「あっ、一緒に住んでも大丈夫だ」と思ったようです。

今までは、「怒るのはかっこ悪いこと、いけない事、いいパパは怒らないもの」と思っていたのですが、「怒り」という感情を抑圧しているからこそ、ワラワラとしたいいようのない感情に変わって湧いてきているのかもしれないと、私は推測しました。

私は初めて「なんとかなるかもしれないな」という手応えがあったので、もっと自分が抑圧しているもの、見ないようにしていること、タブーにしていることを探求してみたいと思い、心屋塾のマスターコースに半年間通うことにしました。

ダメなままでもいいじゃない?

スターコースの内容は、自分自身と向き合いながら、心屋仁之助さんのカウンセリング手法を身につけるというものでした。

コースが進むにつれ、自分の良いところも悪いところも認めていく、受け入れていくことができました。その過程で、児童相談所からも奥さん、子ども達と同居してよいと許可が下り、また同じ屋根の下で暮らせるようになりました。最初は、同居してもいいけど、「私だけで子ども達を面倒見るのはNG、必ず奥さんと一緒に」という条件付きでした。

同居再開してからも、私は日々の生活の中で自分がどんな抑圧や見ないようにしていることを持っているのか考え、見つける度にそれを解放していきました。

同居再開してからも、半年間は月に1回児童相談所の人が家に様子を見に来るのですが、来る度に「なんかご主人変わってきましたね。」「奥さんもすごい安心してらっしゃいますね。」と言われるようになり、少しずつ私だけで子ども達の面倒を見てよいことになっていきました。自分自身が生きづらさが軽くなっていくのを感じていたのは言うまでもないですが、会う人からも変化が分かるようでした。

半年後からの半年は、2ヶ月に1回ぐらい児童相談所の人が来るようになったのですが、「もう大丈夫ですね。」「ご主人が変わったのを見て安心しました。」と言われるようになり、同居を再開して1年後には、児童相談所の監督が解除され、家族4人で元の生活に戻ることができたのです。

この頃、自分の中でわらわらとした憎しみは湧き上がってこなくなり、子どもを叩くということはなくなっていました。そのおかげで、安心して家族と生活することがあできるようになっていました。

しかし、変わっていない面もありました。

それは、副業で成功して、今度こそお金持ちになるんだ!という野心・向上心と、奥さんとの夫婦喧嘩です。週に1回ではなくなったのですが、月に1回は大きな喧嘩をして、仲直りせずに翌日を迎えるという事は変わっていませんでした。

しかし私は、奥さんの言う事を素直に聞けるようになっていました。奥さんが喧嘩をする度に言っていたのが、「ダメなままでもいいじゃない。」ということでした。

私は自分自身の向上心を良いものであると捉えていました。しかし、向上したいという気持ちの裏には、「今の生活のままではいけない」「今の自分は理想の自分ではない」「お金がないとバカにされる」「欲しいものをなんでも自由に手に入れられるのが豊かな人生だ」「役に立てばたつ程、自分は認められる」このような思いがあることを発見したのです。

向上心があることは良いこと、夢を叶える、お金持ちになって成功するのが良い人生だと当然のように思っていたのですが、そのマインドの裏には、自分の劣等感があること、その劣等感が一番見たくないもの、認めなたくない、受け入れたくないものだったんだと腑に落ちたのです。

そして、「ダメな自分」を受け入れた時に、奥さんとの夫婦喧嘩が、お互いを責めあって傷つけあうものから、冷静に会話できて、お互い感じたことを伝え合い、誤解を解くという建設的なものに変わったのです。

ダメな自分を認める

こまでの経験から、
自己啓発や心理系の本でよく書かれているこんな内容、

  • ポジティブな言葉だけを使うように常に意識する
  • ありがとうととにかく沢山唱える
  • いつも笑顔をこころがける
  • 自分の長所に着目して、伸ばそうとする
  • 短所を補う何かを身につけようとする
  • 目標を設定してそれ、それに向けて努力する
  • 理想の状態をリアルに想像して、感じ尽くす

このような、プラス面を伸ばしたり、ポジティブな考え方になろうとするよりも、

  • ダメな自分を認める
  • ネガティブな感情も出していく
  • 短所もそのまま受け取る

このような、マイナス面、ネガティブだと思っていることを受け入れる方がよっぽど効果があると分かったのです。

ネガティブな感情を出したり、ダメな自分を受け入れるのは、私がものごころをついた時から、30歳になるまでずーっと避けてきていた、見ないようにしていたものでした。虐待の克服と夫婦喧嘩を通じて、ダメな自分をようやく受け入れることができたのです。

子どもへの虐待を克服でき、夫婦関係を改善できた後も、正直、退屈で毎日行きたくないと思っていた会社を辞めることができて、今ではこのように自分のやりたいことを仕事にして、好きなペースで仕事をすることができるようになりました。

それもやはり、

  • 「男は働かないといけない(働いていない自分はダメ)」
  • 「妻や子どもに苦労をさせたくない(家族を不安にさせるダメな自分)」
  • 「稼ぎがない人(かっこ悪い、無能な自分)」

という自分のマイナスの面を認めることができるようになったから、会社を辞め、やりたいことにチャレンジする行動をとることができたのです。

魔法の言葉を言ってからあっさり悩みが解決しました。

ここで少し最近のクライアントさんの事例をお伝えします。

田さんには何度かカウンセリングしてもらってますが、気さくで楽しい印象とは裏腹によく話を聞いてくれます。

こちらのまとまらない話であっても、しっかり整理して答えを導いてくれる所がとても気持ちいい。

カウンセリングの最中に出してもらった魔法の言葉を言ってから、家に帰ってたら、私が求めていたことが叶ってあっさり悩みが解決しました。

(大阪在住、35歳の女性、子ども3人、カウンセラー塾の人)


性カウンセラーの話も聞いてみたいと思い、山田さんに相談しました。

私は、いつも一番欲しいプレゼントが欲しいのに、なぜかそのときの親友ばかり彼氏から一番欲しいものをもらっていました。

それが悔しくなり、その友人とは自然と距離をとってしまうという事を繰り返していて、何でそうなるんだろう?と悩んでいました。

話しをしていく中で、私が子どもの頃、一番欲しいものを母に欲しいというと、いつも母は「ものもちのいいこっちにしなさい」と言って買ってくれなかったり、父親に買ってもらうと「なんで勝手に買うのよ」と怒られたりしたことから、欲しいものを手に入れる事に対して、罪悪感を感じていることに気づくことができました。

その後、山田さんからのアドバイスで、こんな私のままでも、一番欲しいものを受け取っていいんだと思えるようになり、とてもスッキリしました。

(東京在住、26歳の女性)

今の状況をなんとかしたいとお悩みのあなたに

自身の20代後半から30歳までを見直すと、「お金持ちになって自由に好きなことをやりたい!でも、結婚して子どもも生まれてお金も時間も全く自由にならない」という板挟みの状態をなんとかしようともがいていた時期と思っています。

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30歳・共働きサラリーマンはどのような解決方法を探しているのでしょうか